「猿留山道(さるるさんどう)」は、幌泉(現えりも町字本町)〜猿留(現目黒)間の七里半(約30km)にわたる、北海道最古の官製道路の一つです。
江戸時代、ロシアなどの外来船来航に備え、幕府は蝦夷地の警備強化を決定し、寛政11年(1799年)にこの山道を開削しました。
当時の通信手段や移動手段は風に頼る北前船が主で、天候や風向きに左右され信頼性に欠けていました。急務の情報を迅速に伝えるために陸路の整備が不可欠だったのです。
猿留山道が作られた翌年には、日本地図を初めて完成させた伊能忠敬が測量を行い、さらに、北海道の名付け親とされる松浦武四郎もこの山道を探索しています。
道の整備が江戸時代において通信や警備の面で重要だったと考えると、現代の私たちにとってもその意義を深く感じさせられます。
えりも町では、平成9年からボランティアの手で猿留山道の調査と復元が進められてきました。現在、一部区間が復元され、国の史跡およびえりも町文化財に指定されています。江戸時代の姿を残しているため、歴史を学び、当時の情景を感じながら歩くことができる貴重な秘道です。
山岳地帯に位置するため、一般に歩けるのは雪がない、5月中旬から12月上旬まで。登山と同様の装備と注意が必要で、携帯電話の電波もほとんど届かないため、自己責任の歩行となります。毎年「猿留山道を歩く会」が実施されていて、ビギナーの方も楽しめる機会となっています。