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囚人労働で作られた道路

国道275号線沿いに位置する月形町(令和5年時点の人口は2,845人)。この町にある月形町営篠津山霊園には、「旧樺戸集治監」で亡くなった囚人たちの墓地が残されています。

樺戸集治監は、東京、宮城に次ぐ国内3か所目の集治監として、1881年(明治14年)9月3日に開監されました。1886年(明治19年)に一度火災で焼失しましたが、再建され、現在では本庁舎が「月形樺戸博物館」として活用されています。この博物館では、開監から廃監までの39年間の歴史が多くの資料とともに展示されています。

明治初期、北海道は未開拓の地であり、日本はロシアの南下政策に備えるため、北海道の開墾や道路建設を急務としていました。樺戸集治監の囚人たちは、その労働力となり、北海道の開拓の一端を担っていたのです。

博物館には、囚人たちが関わった道路建設の展示があります。その一つが「樺戸道路」です。これは、1881年に開監された月形の樺戸集治監と、1882年に開監された三笠市の空知集治監を結ぶ約16キロメートルの道路です。泥炭地のため、木材を敷き詰め、線路の枕木のように並べた上に土を盛り、その上にさらに石狩川の砂利を撒いて造られました。

現在、この道は「道道275号 月形峰延線」として使用されています。ほぼ直線で見通しの良い道で、車で走ってみると、今でも道路工事が行われており、歴史の重みを感じる感慨深い体験となりました。

■施設情報
月形樺戸博物館 
北海道樺戸郡月形町1219番地